神奈川県で暮らした話

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東京郊外の生まれ育ちなくまふくとその夫ですが、2021年6月下旬から2024年9月中旬まで神奈川県横浜市に住んでいました。
どうして横浜に住んだのか、これが楽しかったり楽しくなかったりして充実していたのでまとめました。

こういう奴もいるんだーと楽しんでいただけると嬉しいですし、生まれ育ったところから離れたところに生活拠点を移してみたい際の参考になればと思います。
因みに長いです。

東京じゃないどこかへの憧れ

引っ越した理由はズバリ東京じゃないところに住んでみたかったからです。
母親の実家が香川県で、小学生の頃は毎年の夏休みに1か月以上祖母の家に滞在し、楽しい思い出をたくさん作らせてもらいました。
祖父が元気だった頃は田んぼと山があって、田植えや稲刈りを体験させてもらったり山で育てた果物を食べさせてもらいました。スイカが特に絶品でした。

また、両親が旅行好きで、子どもの頃から色んな場所に旅行で連れて行ってもらい、東京じゃないところの良いところをたくさん教えてもらいました。

そんな私が東京じゃないところに住んでみたいと思うようになるのはある意味必然で、なんなら田舎暮らしなんて良さそうじゃないかなどと浅はかにも考えていました。
それでもいきなりぶっ飛ばなかったのは、カメラ趣味を通じて知り合った陸別在住の方に、田舎は田舎で大変なことも多いからじっくり考えた方がいいよと教えてもらい、やっぱりいきなり田舎暮らしは厳しいのだろうなと踏み止まっていられたからでした。

そして結婚してひとまず実家を飛び出した私は、夫の母が長崎出身で大体似たような憧れを地方に抱いていることを知りました。
そんな訳で、東京じゃないどこかへ引っ越したいねとなったのです。

難航する住む場所と家探し

先のアドバイスに従い、いきなり田舎といわれるところへ引っ越すのではなく、まずは首都圏でも比較的都心にアクセスしやすいところに住んでみて、自分たちがどう感じるかでその先を考えよう、夫と話がまとまりました。

私は海を眺めるのが好きで神奈川県と千葉県に候補を絞りました。しかし、千葉から東京方面への通勤電車がえげつない混雑率であることは大変有名で、私も仕事で何度かしんどい思いをしていたため除外しました。

そこで、神奈川県でも海に近く、東京から離れすぎていない藤沢駅周辺に目をつけました。
しかし、同じことを考える人はたくさんいるようで、不動産サイトを見た感じ希望を満たす物件はなく、藤沢市の駅周辺でも探してみたものの物件は見つけることができなませんでした。

当時はコロナ禍で東京じゃないところへの移住や二拠点生活が流行っており、後で知ったのですが藤沢市の地価はこの時グングン上昇していたそうです。そりゃ無理ですわ。

そこから大船駅周辺に目先を変えるも駅から遠い物件しかなく、コロナ禍はいずれ落ち着き通勤頻度もいつも通りくらいに戻ると考えていたため断念しました。
更に東京寄りで物件を探すことにしたり、最寄り駅からの所要時間も妥協したりした末に、何とか横浜市で物件を確保しました。

この時後悔ポイントは、先に退去日を決めてしまったことでした。
どんなに物件が見つからなくても退去日が決まっている以上妥協してでも入居できる物件を探すしかなく、この焦りは凄まじかったです。

土地勘のない場所に引っ越そうと思ったら、じっくり探し回って家が見つかってから退去の連絡をする順番の方がいいと思いました。
今回は妥協し過ぎてしまったというか、もはや目に入っていなかったことが色々あったなと後々思いました。

首都圏の道路事情に思いを馳せる

特に住んでいた家の周辺、歩道がないか狭かったです。

車の通る道路が立派でも歩道がないか、何とか1人歩けるかどうかの幅で白線が引かれていることがとても多かったです。しかも歩道のない道でもすぐ横を通り過ぎる車はほぼ減速なしで通り過ぎていくし、狭い道路で渡ろうとしても車は絶対に止まってくれませんでした。あれ法律。

この時によぎったことが、千葉や埼玉でもたまにニュースになっている、車が歩行者に突っ込んで死傷者を出した事故の報道をそこそこの頻度で目にすることでした。横浜市内での事故もちょくちょく目にする機会があると思います。
そのような報道が減ったりなくならないことに、深く納得するしかなかったです。

車を運転する側から考えても道路事情は悪いので前述のようになってしまうのは理解できなくもないですが、それにしてもと思わされることがたくさんありました。
一応車の免許は持っているのですが、車一台がやっとの狭い道も本当に多くて運転する気にならず、徒歩とバス電車を駆使する生活でした。

それから横浜市内や神奈川県内の道路事情が気になって出かける度キョロキョロしていましたが、やはり歩行者に優しくない道路が多いなと思いました。
実家周辺の道も歩道が狭かったり決して恵まれた道路事情ではなかったですが、少しでも渡ろうとする素振りを見せているとすぐに車が止まってくれたりするので他の場所でも同じだろうと信じていたのですが、あれは歩行者が圧倒的に多くて強い東京ならではなのかもしれないです。

これがずっと続くのが結構しんどくて怖くて、もともと考えていた通り期限付きの神奈川生活と割り切って楽しむことにシフトチェンジしました。

東京から拠点を移せない

道路事情の悪さはとても大きなポイントでしたが、他にも重要な要素がありました。

美容室だったり友達と会う場所だったり、通勤先だったり、東京から拠点を完全に移すことができず不便な思いをたくさんしたことです。
通勤先はそこそこどうにかなったけれど、2人ともそれぞれずっとお世話になっている美容師さんがいて、引っ越しても離れることができませんでした。

また、東京生まれ東京育ちだと友達のほぼ全員が東京にいて、いざ集まるとなれば私が東京に出向くのが自然でした。
移動距離の長さを気にかけてくれる友達も多かったのですが、私が好きで引っ越したのだからあまり気遣ったもらうのも悪い気がして、アクセスの良さは融通してもらいつつも距離は気にしないでもらっていました。

実家に泊めてもらったり工夫のしようもあったのですが、コロナ禍が落ち着いてくると共に夫が仕事関係で東京に行く頻度が増え、この面倒臭さが段々と勝ってくるようになりました。

2人ともお互いの地元が好きなことは自覚していましたが、やっぱり地元が一番なんだなとより深く実感する出来事でした。
東京に戻って来て約3年振りに地元といっても過言ではない吉祥寺に行きましたが、こんなに便利で色々と面白いところのある街だったのかと再認識し感動しました。そういう意味では一度離れてみてよかったなと強く思っています。

神奈川県を味わいまくることができた

道路事情が悪いとか地元には勝てない、みたいなことを書いてきましたが、じゃあもう神奈川はもういいですわーなのかと問われると、全くそんなことはなく、むしろ神奈川の好きなところがたくさん増えました。

住んでいた家の周辺はたしかに住みづらいところだったけれど、雰囲気がのんびりしていて背の高い建物もなくて空が広かったんですよね。その空気感が気に入って入居を決めて、その好きの気持ちは引っ越す最後まで変わらなかったです。冬の夜にコンビニまで散歩して、家の前で空を見上げるのが大好きでした。
今住んでいるのは東京の郊外ですが、やっぱり横浜の家周辺よりはせかせかした感じで、ゆったり過ごせる度合いは横浜の方に軍配が上がります。

大好きな小田原に月一という高頻度でかつ日帰りで気軽に遊びに行けたのも最高でした。
これからも折を見て遊びに行く気満々だけど、交通費の高さや遠さを考えると今までみたいな頻度で行くことはちょっと難しいです。

他にも箱根や湯河原、鎌倉や江ノ島など有名観光地もたくさんあって、都民だった頃には行けなかった頻度で通うことができました。

みなとみらいに行くことも生活の一部と化し、何度も未知のイベントにかちあって特別な観覧車のライティングを眺めたりできました。夫婦2人とも高所恐怖症なのに最近できたゴンドラにも乗りました。あれは夜に夜景を見ながら乗るのがいいですよ!

期間限定と割り切った分張り切って楽しむことができて、神奈川での大好きな場所がたくさんできました。そのことは改めて書きます。

そのため、移住に失敗したというより移住のメリットとデメリットを実際に感じて、満足して大好きな地元付近に帰ってきた、という気持ちでいます。

何よりずっと東京にいてもイマイチ好きになれない地元という感じで過ごしていたかもしれないけれど、一度離れたことにより良さを再認識して結局大好きだよねーと愛着を持つことができたのが大きかったです。

東京も神奈川も大好きです。温泉行きたい。
くまふくでした🐻

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