おかしいかもだけどやめられない本の読み方

を読む時は何冊か同時並行させないと、もはや読めない。
1冊の本だけをお行儀よく始めから最後まで読み続けることができない。
ソワソワして落ち着かない、もはや書籍に対してだけ多動癖だと思っている。

別に書籍なら何でもいい。小説と漫画、エッセイと哲学書同士でも何でも、その時たしかに私が読みたいと思って読んでいる本なら何でもいい。
並行する冊数も何でもよくて、たまに5冊くらい並行させてしまう。

さい頃からそうだった訳ではない。
小学生から高校生の頃までもよく本を読んでいたけれど、あの頃の集中力はすごくて1冊をものすごいエネルギーで読んでいたため他の書籍が入り込む隙間はなかった。
短期間で読み進めていくのがスカッとするというか達成感と爽快感でどうにかなっちゃいそうだった。特に当時は小説ばっかり読んでいたから、物語へ没入する感覚が大好きで本の世界へダイブするように読み漁っていた。

学生になってから本自体をほとんど読まない時期がきて(理系だったため図鑑みたいな教科書を読むことは増えたし、院生の頃は資料になりそうな論文は読んでた)、勤め人になってから父に勧められてビジネス書を読み始めたのが再び本の世界の扉を開けるきっかけになった。

当時読んでいた本は正直忘れてしまった。タスク処理が云々、上司や同僚との付き合い方は云々、ビジネスマンとして成功するための色んな何やかやが書かれていて、紹介されているスキルの数々がいかに人生を輝かせるかをシンプルかつ説得力のある言葉で書かれていたけれどなかなか染み込んでこなかった。
今まで読んできた小説や教科書や論文と違って、本は本だけど何だか面白くないし興味もそそらないしイマイチ使いどころを判断できない100均とかで売ってそうな便利グッズみたいだな、と思った。
でも読まないよりはマシで、実際活かされた場面もあるにはあった。新卒の頃は本当に右も左も分からなくて藁にも何にでも縋り付いていた。

屋にはまた行くようになったから、昔読んでいて好きだった作家の名前や話題になっている著者の名前の本が並んでいるのを見かけて心が躍る気がした。
それでも、当時の私はこれから先の人生をどうすればいいか全くもって分からず、多分きっとこれからも会社に勤めていくんだから今どうにも上手くいかないビジネスってもんをもっと分かるようになって給料を上げていきたい、という気持ちの方が大きくてなかなか手が伸びなかった。
代わりに父から借りたイマイチときめかないビジネス書をパラパラしてみたり、本屋でFPの資格本を買って取り敢えず3級を取得した。

FP3級の知識は確かに役に立った。誰も教えてくれないし曖昧模糊として釈然としないままキッチリと天引きされる税金とか、儲かりそうな気もするしとんでもない負け方をしそうな気がしてた投資というものの概観を見たし、社会がどのように回っているのかお金の流れを中心に少し分かったような気がした。
何かについて少し分かると、その倍くらい分からないことが出てくる。分からないことが分からなかった状態から、分からないことは分かるようになるこの感覚は今でも好き。

済についての入門書としてSNSで誰かが推していた本が本屋で平積みされているのを見て、何の気もなしに手に取り買ってみたのが大きな転機だった。
ビジネス書でもなく小説でもエッセイでもない、いわゆる教養本的なやつだけれど、自分の知らない世界について分厚い本いっぱいいっぱいに語りかけてくる密度。読者を置いてきぼりにしないための配慮。引用や参考文献が丁寧に記載され、この本を読み終わった後はどこに進むとどんな知識を得ていけるかが示されたガイド。自分の世界がグングン拡張されていくのを感じた。初めて知った快感だった。

してここで並行読みが爆誕する。
教養書は楽しい。新書にも手を出し始めたし、全くの無知だった哲学書にも手を出した。
あれもこれも知りたい、本は無限に新たな世界への扉を示してくる。
でも、ずっとずっと新しい世界を泳ぎ続けるのはエネルギーの消費がすごい。
たまには息抜きでマンガだって読みたい、と手に取ったらめっちゃくちゃ面白くてシリーズを揃えるのが忙しい。

こでいったん大学受験の話に飛ぶ。
私は無謀にも国立大学を志望する高校生だった。高校一年生の1月までは習い事にのめり込めるだけのめり込んでいて全く勉強をしてこなかったいわゆる脳筋高校生だったのに、周りに乗せられた。今思うとそれで勢いのまま志望しちゃう私もだし、グングン乗せてくる学校の先生も塾の先生も、何だかもう全部が全部狂気だった。もちろん落ちたけど、その話はまたいつか。
で、国立大学を受験する場合は当時センター試験も受験する必要があり、しかも理系文系問わずどちらの試験も受ける必要があった。多分これは今の共通テストでも同じ。
だから各科目の受験勉強が並行作業になってくる。数学に疲れてきたら気分転換に化学の勉強をして、趣向を変えてくなったら政治経済の知識をひたすら詰め込む、みたいな。

みたい教養書が山の如く、気分転換のつもりで読み始めたら新巻が出るたびに狂喜乱舞するようになったマンガも増えていく一方、エッセイも再び大好きになった私は思い出した。

受験勉強スタイルでいいじゃん。気分変えたくなったら気分のままに読めば。

これがまことにピッタリと私の状況にマッチしてしまい、今に至る。
あまりにも合いすぎて、何か本を読んでいる内に他方の読み進めている本も気になってきて、一息ついたらそっちの本を読み始めていたりする。
その日によっては同じ本を読み続けたり、マンガのシリーズを一気に読み返したりもする。
書籍を読むだけなのに、思いがけず豊かな選択肢を得てしまった。

在は、
・新書1冊
・漫画シリーズ読み返し1冊ずつ
・エッセイ3冊
を並行読みしている。久々に興味をそそるビジネス書?的なものを勢いで1冊買ってしまったが、さすがに頭が混乱しそうなので積読に回した。
そんなことを繰り返していく内に一冊それぞれにかけられるエネルギーや集中力は分散してしまって各1冊にかけられる値は小さくなったけれど、代わりに総合的な推進力は増したような気がしている。気だけかもしれない。
それでも知らない世界や興味のあることの未知の一面をつまみ食い的にどんどん知っていく行為はたまらなくたのしい。これが更に役立ってしまった時など、それはもうドヤ顔になる。

あっちにウロウロ、そっちにウロウロ、落ち着きがなくて気付けば積読が山の如くになっていたりするけれど、もうしばらくはこの読み方がたまらなく好きでやめられそうにない。

くまふくでした🐻

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