「向田邦子ベスト・エッセイ」を読んで No.1 戦争

先日本屋を徘徊していたところ、向田邦子先生(以下では敬称を省略するか、先生と表記させていただきます)のエッセイをまとめた「向田邦子ベスト・エッセイ」を見つけ購入しました。
これがものっっっすごく面白かった!!ので、何回かに分けて感想を書き連ねていきたいと思います。

なお、本文の抜粋やネタバレがてんこ盛りですので、ネタバレNGで気になった方がいましたら是非ご購入の上こちらに戻って来ていただけると嬉しいですー!

向田邦子ベスト・エッセイの何が面白かったか概略

先生が活躍していた頃まだ私は生まれておらず、ドラマの人気脚本家で人気絶頂の最中に飛行機事故で亡くなった伝説みたいな方だと、上の世代の人たちから聞かされてきたという印象でした。


エッセイも面白いと誰かから聞いたのか何かで見知ったか記憶があったのですが、何を読めばいいか見当がつかず購入には至っていませんでした。
そんな中で出会ったベストエッセイ集。私のような者にも優しい!と感動し即買いでしたが、この本は没後40年に合わせて出版された本だったようです。初版は2020年でした。
そして、めっちゃくちゃ面白かったです。なんでや!と思わずツッコミを入れたくなる笑える話アリ。先の大戦の話アリ。深く共感し考えさせれる話アリ。口の中がよだれいっぱいになる美味しそうな話アリの、何でもお取り揃えしております、な面白すぎて恐ろしいエッセイ集でした。


私はエッセイ集をそこそこ読むのですが、これはダントツで面白かったです。自分の見せ方と文章がこんなに巧みな人がいたんだ、と頭がグラグラしました。
その中でも私が興味深いと思ったエッセイが何篇もあり、キーワードごとにまとめると、
「戦争、食、向田邦子の人生」の3つにまとめることができました。
そこから今回は、戦争というキーワードを軸にいくつかのエッセイについて書いていきます。

向田邦子と戦争

向田邦子は1929年の戦前生まれで、終戦の1945年では16歳です。
向田家は世田谷にあり東京大空襲の被害にも遭っていたようで、当時の出来事は色んなエッセイで度々登場します。
邦子は女学校の三年生で軍需工場に動員されていたものの、栄養状態が悪かったためか脚気にかかり終戦の年は家にいたそうです。
また、妹2人は甲府に疎開していたという記載もありました。

今回は、エッセイの中から分かる戦争の様子にフォーカスしていこうと思います。
向田邦子のエッセイは、全体的に言葉選びがシンプルで読みやすくスルスルと読み進めていくことができるのですが、その時の状況や心情がストレートに伝わってきます。
戦争を知らない世代にして、戦争を経験した人との関わりも薄い私には大変貴重な資料ともなりました。しんどかった、辛かったなど、分かりやすい感想は述べられていませんが、当時の状況を克明に描いた文章からは、その時どんな気持ちだったのか、何故だかより強く伝わってくるような気がします。
その中でも特に戦争の様子がよく分かる2篇をご紹介します。

ごはん

先程も少し触れましたが、このエッセイのメインは東京大空襲のお話です。


どのエッセイにもいえることなんですけど、前置きが本題とは全く関係無いような始まりで、こちらもまさか東京大空襲の話が始まるなんて思わなかったです。
でも強引な話の展開ではなく、さりげないエスコートですっと本題に向かっていけてしまうんですよね、「ごはん」でもそんな始まりでした。

この頃、邦子は空襲には既に慣れっこになっていたようで、

空襲も昼間の場合は艦載機が一機か二機で、偵察だけと判っていたから、のんびりしたものだった。空襲警報のサイレンが鳴ると、飼猫のクロが仔猫をくわえてどこかへ姿を消す。それを見てから、ゆっくりと本を抱えて庭に掘った防空壕へもぐるのである。

向田邦子 ベスト・エッセイ 「ごはん」より

と意外にも呑気な様子が描かれていました。

しかし、東京大空襲は夜中に始まります。
サイレンに起こされた邦子はまだのんびりしていて、日中に行った潮干狩りでの貝を持って逃げようとするのですが、

それが、その夜の修羅場の皮切りで、おもてへ出たら、もう下町の空が真っ赤になっていた。我家は目黒の祐天寺のそばだったが、すぐ目と鼻のそば屋が焼夷弾の直撃で、一瞬にして燃え上がった。

向田邦子 ベスト・エッセイ 「ごはん」より

「空襲」
この日本語は一体誰がつけたのか知らないが、まさに空から襲うのだ。真赤な空に黒いB29。その頃はまだ怪獣ということばはなかったが、繰り返し執拗に襲う飛行機は、巨大な鳥に見えた。

向田邦子 ベスト・エッセイ 「ごはん」より

と、惨状が綴られていました。
シンプルな言葉選びなのに情景がぐわっと一瞬で浮かび上がることにすごいと思いつつも、浮かび上がった情景に絶句するような気持ちで、何度も読み返した部分です。

また、周りの状況についても記述があります。

家の前の通りを、リヤカーを引き荷物を背負い、家族の手を引いた人達が避難して行ったが、次々に上る火の手に、荷を捨ててゆく人もあった。通り過ぎたあとに大八車が一台残っていた。その上におばあさんが一人、チョコンと坐って置き去りにされていた。父が近寄った時、その人は黙って涙を流していた。

向田邦子 ベスト・エッセイ 「ごはん」より

どれ程の極限状態であったかが数行読むだけでも辛くなるくらいに伝わってきます。
向田家はその後、いよいよといったところで風向きが変わり大きな被害を免れました。
更にその後の様子も描かれているのですが、そちらはまた後日に回そうと思っています。

字のない葉書

こちらはかなり有名なお話かと思いますので詳細は割愛します。


恐らく学生時代に国語の問題文として出てきたのか、私も読んだことがありました。
向田邦子といえばホームドラマ!みたいな安直な印象に支配されていたため、これも先生のエッセイだったのか!と多彩さにまず驚きました。
しかも文庫本サイズだと4ページしかないんです。だから問題文にも採用されるのかと納得しましたが、4ページでこれ程の印象を残すのかと衝撃でした。本当にすごい方だったのですね。

内容としては、下の妹の疎開が決まり心配した父が、まだ字の書けない妹のために父宛ての宛名を書いた葉書をたくさん用意し、元気だったら丸を書いて送るように渡し見送るのですが…というものです。
字のないってそういうことかーとこの時点でも合点がいくのですが、読み進めていくともうひと段階あるんです。それがもう何とも言えなくて、本当に戦争を憎む辛いお話です。

また、私は最後の段落がとっても好きです。
大事なところのネタバレになってしまうので引用はしませんが、もうほんとに心が弱りきってショボショボになりました。

他のエッセイにも東京大空襲の話や戦争に関するエピソードは度々登場しますが、その中でもこれは、と私が思ったもののご紹介でした。
次回は打って変わって、笑いありヨダレ大量に垂れちゃう「食」について取り上げていこうと思います。

くまふくでした🐻

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